わたしはほぼ毎日教授のお弁当を作っています。
なんせ自画自賛な人間なので、美味しそうなのができたら写真を撮ってうふっ?と朝から悦に入り、楽しいです。
日本ならオフィスの外に一歩出ればランチセット、定食、コンビニとあらゆる選択がありますよね?
でも、アメリカの中都市以下の環境ではそうはいかない。
それに、忙しいときにはランチのために外に出る時間が思いっきり時間ロスになるので、結局食べられないなんてことも。
さらに、わたしの住むアリゾナでは、暑い季節にはハンドルに触ると火傷しそうになるくらい高温になった車に乗って昼休みに外出すると、それだけで消耗するんです…。
なので、わたしがお弁当を作るのは、忙しい教授の役に立ちたいからという単純な理由です。
実は、わたしが教授にお弁当を作る以前に、教授がわたしにお弁当を作ってくれていました。
以前ツーソンから 150マイル/240㎞ 離れたフェニックスの北で働いていたとき、平日はホテル暮らし、週末は隔週でツーソンかデンバーで過ごすという生活をしていたことがあります。
まるで単身赴任っぽい生活で、ツーソンからフェニックスに戻るときはそれは寂しかったですね~。
さらに、日曜の夜に暗い砂漠のフリーウエイを走ってツーソンからフェニックスに戻ると、殺伐としていてますます寂しくなるのです。
当時、単身赴任の方の気持ちを初めて理解できました。
(家族のために単身赴任生活をされている方、おつかれさまです?)
そんな生活を始めてすぐ、月曜日の朝ツーソンを出ればバタバタして忙しいのであまり寂しいと感じないことに気づきました。
フェニックスは通勤時間の渋滞が激しいので、月曜日の朝8時半の会議に出るためには、まだ暗い4時半に起きてツーソンを5時すぎには出ないといけません。
そのときに、教授も一緒に起きて、わたしが出かける準備をしている間にお弁当を作ってくれていたのです。
運転しながら食べる朝ごはんと、お昼ご飯と、夜ごはんまで入っていて、毎回それはそれは感動したものです。
わたしにお弁当を作ったことを、教授はたぶん覚えていません。
でも、彼が起きなくていいのに4時半起きでお弁当を作って、わたしが車で出かけていくのを見送ってくれたことを、わたしが忘れることは一生ないです。
それくらい心に響いたのです。
他人が何か役に立つことをしてくれたり、助けてくれたとき、ひとは感謝します。
それがまったく期待していないことであればあるほど、ひとは感動します。
それも、ここまでしてくれるなんて!というレベルでしてもらったとき、
そして、そこに何の見返りも求められていないとき、
その行為はひとの心に最大に響き、その記憶は書き換えられることなくそのひとの心に残るのです。
家族、友人、恋愛のプライベートな関係だけでなく、ビジネスの場面でもそうですよ。
ぜひ覚えておいてくださいね。
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